2007年4月26日木曜日

スタニスワフ・レム『大失敗』


装訂の美しさに惹かれて買った。新聞等の書評にもネット上の情報にも目を通さず、外部の関連情報をシャットアウトしてひたすら読み進めていったのだが、読み終えた後、そうしたことでこの作品の魅力を味わえたと実感する。支点のない情報が錯綜し状況が刻々と変化する中で登場人物たちが討議し、いくつかの有力な仮説が浮かび上がっては消えていく。そういう様子は、物語の力点や結末が見えていたら、あまり耐えられないだろうから。

そういうわけでここでもあまり作品内容の紹介はしたくないのだが、最低限のことだけ記しておく。先日も、「地球型生物が住める可能性がある太陽系外の惑星を、ヨーロッパ南天天文台(チリ)の研究チームが世界で初めて発見した」というニュースがあったが、そもそも、地球の他に知的生命体がいる可能性のある天体が発見されたとして、私たちはその異星人に会いたいと思うか? それはなぜか? 会ってどうするの? という疑問がある。去年読んだグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』もその疑問に関係する小説として興味深く読んだが、この『大失敗』も同じ疑問に関係している。

異星人との相互理解の困難さ、不可能性については、私たちの世界の有り様から簡単に類推することのできる、きわめて説得力のある設定が用意されている。そこで、どうやってその困難を乗り越えていくことができるのか、というところに意識が前のめりになっていく。しかし、そもそも会ってどうするの? の部分についてわかりやすい答えが用意されているわけではない。むしろ、こういう困難さの中に、何としてもコンタクトを成功させたいという欲望が基礎づけられてしまっているのではないか、という疑いが頭をもたげてくる。