2009年12月1日火曜日

「だ・である」調と「です・ます」調

もうひとつ、新書の多くが「書き言葉(だ・である)」から「話言葉(です・ます)」で書かれている。つまりあれはほとんどオーディオ・ブック。読者は言葉(ロジック)を読んでいるのではなく、語り(レトリック)だけを聴いている。 ( Twitter / Nakamata Akio)


とにかく、いまは新書に限らず、本が「属人性」を高めてることは確かだね。「ファン」が読む本と、「アテンション・エコノミー」で動く本だけになった。昔の新書は、必ずしも著者名に頼らない「コンスタティブ」な本が多かったが、いまはパフォーマティブな本ばかり。(Twitter Nakamata Akio)


本とは別に思い当たるのが、学生が書くレポートに「です・ます」調が多いこと。

授業では何度も、レポート・論文は「だ・である」調で書くんですよ〜と言っているのだが、聞いてくれていないのか、こちらの説明の仕方が悪いのか、やっぱり一定の割合で「です・ます」調で書いてくる。あれはなぜだろうとずっと考えていた。

「属人性」、「パフォーマティブ」という説明でようやく納得が行った。これは要するに、レポートを内容でなくそれを書いた人物で、あるいは一生懸命さで評価してほしいという訴えなのだと。

これからは、レポートは書かれた内容・結果で評価しますから「です・ます」調で書いても無駄ですよ、と説明することにしよう。

2009年11月11日水曜日

神道宗教学会第63回学術大会

神道宗教学会第63回学術大会
大会テーマ「現代神道と社会参加―新たな公、新たな結をめぐって―」

学術講演
〔日時〕平成21年12月5日(土)午後1時より
〔場所〕國學院大學渋谷キャンパス学術メディアセンター1階常磐松ホール
「地域コミュニティの変容と伝統芸能の継承」
講師 星野紘氏(東京国立文化財研究所客員研究員・成城大学大学院文学研究科非常勤講師)

・シンポジウム「地域コミュニティの変容と神社神道の社会的役割再考」
発題者
櫻井治男氏(皇學館大学社会福祉学部教授)
恩田守雄氏(流通経済大学教授)
筒井琢磨氏(皇學館大学社会福祉学部教授)
板井正斉氏(皇學館大学社会福祉学部専任講師)
小林宣彦氏(國學院大學兼任講師・太平山神社禰宜)
コメンテーター
星野紘氏
茂木貞純氏(國學院大學神道文化学部教授)
司会
黒崎浩行(國學院大學神道文化学部准教授)
科学研究費補助金基盤研究(B)「宗教の社会貢献活動に関わる比較文化・社会学的研究」による成果

(追記)
学会のページで12月5・6日の詳細なプログラムが案内されています。ご関心のある方はふるってご参加ください。

2009年7月25日土曜日

映画『精神』(想田和弘監督)

映画『精神』公式サイト

想田和弘監督の「観察映画」第2弾、『精神』を観に行った。

この映画が撮影された2005年は、小泉政権のもとで「障害者自立支援法」が成立したころで、映画でもこの法律に対する現場の戸惑いや不満が映し出されている。間近に迫った衆議院選挙で政権交代を狙う民主党は、この法律で定められた認定区分のあり方や定率一割負担の見直しを求めており、今は実にタイムリーな公開時期だと思う。

私たちは多かれ少なかれ生きづらさを抱えて日々を送っていると思うのだが、針が振り切れて具体的な損失が現れてしまうとき、私たちはその人にどう対応していったらいいのか。医療体制はもちろんあるわけだが(その運営の大変さも)、偏見というベールに覆われてもいる。「観察映画」という手法(音楽・テロップがいっさいなく、撮影者・カメラがとらえたものをひたすら観客に提示する)がそのベールをはぎとり、一人の対話者として向き合う勇気のようなものを与えてくれたような気がする。

細かい感想としては、最後のシーン(患者の方が、公営住宅への入居希望について役所に電話をかけて遅くまでクレームをつけ、スクーターに乗って走り去る)にはガツンときた。『精神病とモザイク』(想田和弘著、中央法規)には、試写会でのこのシーンをめぐるジャーナリストの下村健一氏との議論が載っていて、ああやっぱりと思ったのだが、おそらく観る人によってかなり印象や評価が変わると思う。

2009年6月25日木曜日

イランのブログ空間

イラン大統領選挙後の混乱が、インターネットに飛び火している。現職のアフマディネジャド大統領の再選が発表されたが、敗北したムサビ元首相の支援者たちが抗議行動を開始。Facebook、YouTube、Twitterなどが情報交換に盛んに使われた。イラン政府は帯域幅を制限するなど規制強化を行っているようだが、Twitterはイランの時間帯に合わせてメンテナンス時間の変更を行い、GoogleとFacebookが急遽ペルシャ語に対応するなど、反政府の抗議活動を「Web 2.0」系サービスが積極的に支えているように見える。

そんななか、瀧口範子「シリコンバレー通信」混迷のイランにTwitter革命は起こるか? という記事を通じ、ハーヴァード大学バークマンセンターがInteractive Persian blogosphere map というものを公開していることを知る。どのような手法で描画しているのかについての説明もあるが、専門的でよくわからない。ただ、いずれにしても改革派だけでなく保守派、詩歌(?)、サイバーシーア(?)など多様な人びとがブログで発信しているらしいことはうかがえる。

"Twitter Revolution" なるフレーズも一人歩きしているようだが、Gaurav MishraというメディアアナリストはIran’s “Twitter Revolution” — myth or reality? というインタビュー記事で、それは間違いであり、イランで起こっていることをそう呼ぶことで、アフマディネジャドの支援者やムサビの支援者のオフラインのネットワークを過小評価することになると警告している。ただし、世界中の注目をこの危機に向けさせたことの重要性は付け加えている。

Twitterでこんなつぶやきを見つけた。

我々は、Twitterを通じてイランの情報をえた。ただ、我々が、関心を寄せるべきなのは、Twitterではなく、イランの現実だと思う。


まったくそのとおりだと思う。

2009年6月16日火曜日

「宗教と社会」学会第17回学術大会

「宗教と社会」学会
第17回学術大会ホームページ

6月6・7日に創価大学で行われた「宗教と社会」学会第17回学術大会に参加した。前回につづき今回も、発表・セッションを聞く側であった。新型インフルエンザの影響が心配されたけれど、とても盛況だった。

1日目の個人発表。今井信治さんの鷲宮神社についての発表は、絵馬掛所の様子からとらえた参拝者側と神社側との関わり方の分析が面白かった。絵馬といえば昨年夏に横浜市歴史博物館が絵馬の展示をやっていたし、戦時期の絵馬を解読した Jeniffer Robertson, "Ema-gined Community: Votive Tablets (ema) and Strategic Ambivalence in Wartime Japan" (Asian Ethnology 67-1 (2008)) [PDF] も興味深く読んだところだったので、なんとなく絵馬の時代がきているような気がする。井上大介さんのルチャ・リブレについての発表を聞いたら、そういえば『映画で学ぶ現代宗教』に『グラン・マスクの男』(ジャン・レノ主演の、孤児院を運営するカトリック神父が覆面レスラーとして活躍する作品)が入っていない、と思った。

2日目のテーマセッションは、午前・午後ともぜひ参加したい内容が二つ並んだので、大変困った。午後の第1会場での宗教文化教育に関するセッションは、さまざまな学問分野から宗教文化への接点をさぐるというものだったが、とくに科学技術コミュニケーター養成に関する野原佳代子先生の発表が興味深かった。科学技術をめぐる専門家と素人の対話の促進にとって宗教文化はどう位置づけられるかという視点からのもので、東京工業大学での取り組みや、文部科学省科学技術政策研究所による調査の結果なども踏まえられ、とても貴重な提言が含まれていたように思う。科学と宗教の関係と言えば、生物進化論についても対立した(ステルレルニー『ドーキンスVSグールド』)、リチャード・ドーキンス(『神は妄想である』)とスティーヴン・ジェイ・グールド(『神と科学は共存できるか?』)の著作が近年あいついで邦訳されたこともあり(すみません積ん読です)、神話や多文化共生をめぐる問題と並んで、宗教文化を学ぶ現場に直結するビビッドな領域のように思った。

テュービンゲン


Japanologie Tübingen

イアン・リーダー先生、ビルギット・シュテムラーさん、エリカ・バフェッリさんに誘われて、Fritz-Thyssen財団の助成によりドイツのテュービンゲン大学で開かれた Religion 2.0 in Japan: Shifting Patterns of Authority と題するワークショップに参加した。少人数の参加者による3日間の集中討議は、すばらしい体験だった。英語についていくのは大変だったけれど……。

テュービンゲンは町全体に大学施設が散らばっていて、同大学教授のクラウス・アントーニ先生によれば、神学校の町として開けたことから町そのものが大学であるとのこと。ゲーテやヘルダーリン、ヘルマン・ヘッセにまつわる史跡も点在している。学生とおぼしき若者が多い。天気もよく快適だった。

2009年5月14日木曜日

2009年4月8日水曜日

新井大祐・大東敬明・森悟朗『言説・儀礼・参詣―〈場〉と〈いとなみ〉の神道研究』



著者のお一人の森悟朗さんから、新刊の『言説・儀礼・参詣―〈場〉と〈いとなみ〉の神道研究』をいただいた。

神社縁起にみられる中世の神祇信仰を研究している新井さん、寺院儀礼の中の神道的要素について研究している大東さん、江の島をフィールドに宗教と観光について研究している森さんと、対象も方法も異なる研究が一冊に収められているが、序文によると、まさにこの神道研究の多様さを示すことが刊行のねらいであるようだ。

『メディアコンテンツとツーリズム』

メディアコンテンツとツーリズム : 鷲宮町の経験から考える文化創造型交流の可能性 / 北海道大学観光学高等研究センター文化資源マネジメント研究チーム編

この3月に卒業したばかりの佐藤善之君から、北海道大学観光学高等研究センター文化資源マネジメント研究チーム編『CATS叢書 第1号 メディアコンテンツとツーリズム―鷲宮町の経験から考える文化創造型交流の可能性』をいただいた。

上記リンク先にあるように、北海道大学の機関リポジトリでPDF版が公開されている。佐藤君のほかにも、筑波大学大学院の今井信治さんも寄稿していて、「サブカルチャーを文化資源としたツーリズム」(「巻頭言」より)についての実践的かつ実証的な調査研究が集められているようだ。

2009年3月25日水曜日

『宗教と現代がわかる本2009』



編集者の渡邊直樹さんより、新刊の『宗教と現代がわかる本2009』をいただいた。

『2007』、『2008』と寄稿させていただいたが、残念ながら今回はなし。けれど、特集「天皇と宮中祭祀」をはじめとして、秋葉原連続殺傷事件、YouTube、現代仏教、日系ブラジル人の宗教、『聖☆おにいさん』など、昨年の宗教事情に関する刺激的な論考が満載だ。来年度の準備や遅れている原稿執筆でいそがしい今日この頃なのだが、つい読み進んでしまう。

2009年3月8日日曜日

「紙と神」展

紙の博物館

東京都北区王子というと、地名の由来に関係している王子権現(王子神社)や、「王子の狐」という落語でも有名な王子稲荷神社が鎮座しているが、近代の製紙産業発祥の地としても有名だ。この二つの「カミ」を結びつけるような企画展示が、飛鳥山公園内にある「紙の博物館」で行われていることを知り、最終日の今日、見に行って来た。

紙の博物館は、紙の歴史や製造工程などを展示している施設で、行ってみると見学に来た子どもたちでにぎわっていた。「紙と神」展は3階の小さな展示室で行われていた。御幣、切り紙、形代、神札、牛玉宝印など、日本全国の神信仰にまつわる紙が解説つきで陳列され、伊勢の神宮に神札の用紙を納めている大豐和紙工業株式会社のパネル展示もあった。熱心にメモをとりながら展示を見ている小学生もいて、こういう切り口もあるのかと感心した。

2009年3月6日金曜日

鎮守の森で作業体験

3月4・5日、三重県鈴鹿市の加佐登神社を訪れた。地域づくりの担い手の育成・連携の場としての神社のありように焦点をあてた調査の一環である。こちらの神社での鎮守の森保全の活動のことを1月初旬にうかがい、ぜひ訪れてみたいと思っていた。

今回は、立場の異なる複数の関係者の方々から詳しいお話をうかがえただけでなく、作業体験までさせていただいた。境内の東側の森にバリアフリー・ルートを作る活動をしているボランティアセンター・ラブリーフォレストのサイトに、その様子がさっそく紹介されている。お話をうかがい、作業をしてみるなかで、鎮守の森=禁足地のようなイメージががらりと変わり、人間の生活とかかわりながら変化しつづける森というものをあらためて認識させられた。また、さまざまな経験・背景をもつ人々が互いを尊重しながらゆるやかに連携して活動してこられている姿に魅力を覚えた。こちらで学ばせていただいたことをぜひこれからの研究・教育に活かしていきたい。

2009年2月24日火曜日

チェンジリング

公式サイト(日本語)

昨日は米国アカデミー賞の授賞式があり、日本の映画が二つ受賞したが、この映画に賞が与えられなかったのは意外だった。しかし、ここ数年名作を送り出し続けているクリント・イーストウッド監督の勢いがまったく衰えていないことを感じさせる映画だった。

1920〜30年代のロサンゼルスが舞台の、行政の腐敗と女性蔑視が絡んだショッキングで重い作品だが、いくつかの決着、解決がもたらされるたびに、アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公クリスティン・コリンズの複雑な気持ちに共感せずにはいられない。

この作品のキーパーソンの一人に、ジョン・マルコヴィッチが演じるギュスターヴ・ブリーグレブという長老派教会の牧師がいる。ロサンゼルス市警察の腐敗を批判するキャンペーンを張っているブリーグレブ牧師は、警察の探し出した子どもは自分の息子ではないとコリンズが訴えていることを伝える新聞記事を見て、コリンズに接触し、協力を提案する。一方で、事件がある決着をみたとき、まだ息子を探すことをあきらめないコリンズに、「息子さんはきっと待っていますよ、私たちもいずれ行く場所で」と語りかける。したたかな活動家と、宗教的な慰撫を与える者との両側面をもつキャラクターだ。

この映画は実話にもとづいているが、Presbyterian Church (USA) のサイトに載っている記事、Presbyterian pastor portrayed in new Clint Eastwood filmによると、ギュスターヴ・ブリーグレヴという牧師は同年代に実在したものの、この事件にかかわったという記録はないそうだ。友人のR.P. Shuler牧師とともに、ロサンゼルスの風紀の乱れを告発したことで有名だったということである。

また、牧師がラジオで説教するシーンも何度か出てくるが、Daniel A. Stout (ed.), Encyclopedia of Religion, Communication, and Media (Routledge, 2006) によれば、この時期、ラジオが黄金期であるとともに、数多くのラジオ説教師が活躍しており、ロサンゼルスでは Aime Semple McPherson (1890-1944) という女性が、ラジオを通じて癒しを行った説教師として有名だったそうだ。

2009年2月22日日曜日

寺田喜朗『旧植民地における日系新宗教の変容』



著者の寺田喜朗さんより、新刊の『旧植民地における日系新宗教の変容―台湾生長の家のモノグラフ―』(ハーベスト社)をいただいた。

寺田さんとは、1995年から2000年まで続いた「近現代宗教研究批評の会」以来のつきあいである。日本の宗教社会学の学説・方法史への透徹した理解と、ライフヒストリー法を中心とする丹念なフィールドワークが持ち味だ。こうして堅実な研究書をまとめられたことに、深い感慨を覚える。

通読したらまたコメントしたい。

2009年2月20日金曜日

みさくぼ大好き応援団

2月5・6日、浜松市天竜区水窪町で複数のNPOと住民グループが協働して進めている「みさくぼ大好き応援団」という地域づくりの担い手育成事業について、皇學館大学の櫻井治男先生をはじめとする9名で、関係者の方々にインタビューにうかがい、また天竜川沿いの秋葉街道を通って水窪町を訪れてきた。「宗教の社会貢献活動に関する比較文化・社会学的研究」(研究代表者・櫻井義秀北海道大学教授)による調査の一環である。

インタビューに快く応じていただいた方々の一人、NPO法人魅惑的倶楽部(エキゾチッククラブ)の鈴木恵子理事長が開いているブログでも、すでに紹介していただいている。

視察・・その2

私がこの活動を知ったきっかけは、国土交通省の「新たな公」という事業の採択情報からなのだが、興味深かったのは、水窪町の住民の方が切り出した間伐材を、知的障害者授産施設で「竜水護森・木札」という絵馬のような板に加工してもらい、それを浜松市街のいくつかの提携店で販売し、市民に願い事を書いてもらった木札を、年に1回、水窪町の山住神社に奉納する、という一連の流れだ(写真は浜松市街の地ビール店のレジ脇にあったもの)。
環境啓発、地域づくり、障害者福祉の要素がすべてからみあっているのだが、いったいどこからそのような発想が生まれ、どのようにしてそれが実現できたのか、ぜひうかがいたかったのである。

同行した櫻井先生や板井正斉さんとのやりとりも刺激的だった。今回うかがった貴重な内容はいずれ何らかの形で報告にまとめたい。

2009年2月19日木曜日

高大連携授業

しばらくブログをお休みしていたが、そろそろ再開したい。

さて今日は、高大連携授業(推薦入学者のための入学前教育)のために栃木の高校に出かけた。写真は太平山から見下ろした栃木市街と短大・高校のキャンパス。

1月末から2月にかけて週1回オムニバス形式での授業だが、各担当者が2回分を3時間ぶっとおし(途中10分休憩あり)で行うという、高校生には少々ハードなもの。私の回のテーマは「現代社会と神社」で、前半では都市化をはじめとする戦後の社会変動のなかで人々の神社神道へのかかわりが変化してきたことを説明し、後半では「伝統文化の継承と地域づくり」、「環境」、「社会福祉・社会貢献」の具体例を挙げて、世代間のつながり、自然とのつながりを求める新しい動きと神社とのかかわりについて考えてもらうという内容にした。同じ内容を1月31日に渋谷でも行った。

ここ数年重ねてきた調査で撮影し、共同研究者からも提供していただいた写真や動画をふんだんに取り入れ、間口を広げてわかりやすい講義になるよう心がけた。そのためか、小テスト答案用紙の余白に書いてもらった感想には、「わかりやすかった」、「身近に感じられた」といったものが多かった。その一方で、「やはり自分にとって神社は縁遠いものと感じた」という感想もあったが、そうした感覚を、現代の社会状況のなかで位置取りするための材料を得てもらえれば、よしとしたいと思う。