2009年12月1日火曜日

「だ・である」調と「です・ます」調

もうひとつ、新書の多くが「書き言葉(だ・である)」から「話言葉(です・ます)」で書かれている。つまりあれはほとんどオーディオ・ブック。読者は言葉(ロジック)を読んでいるのではなく、語り(レトリック)だけを聴いている。 ( Twitter / Nakamata Akio)


とにかく、いまは新書に限らず、本が「属人性」を高めてることは確かだね。「ファン」が読む本と、「アテンション・エコノミー」で動く本だけになった。昔の新書は、必ずしも著者名に頼らない「コンスタティブ」な本が多かったが、いまはパフォーマティブな本ばかり。(Twitter Nakamata Akio)


本とは別に思い当たるのが、学生が書くレポートに「です・ます」調が多いこと。

授業では何度も、レポート・論文は「だ・である」調で書くんですよ〜と言っているのだが、聞いてくれていないのか、こちらの説明の仕方が悪いのか、やっぱり一定の割合で「です・ます」調で書いてくる。あれはなぜだろうとずっと考えていた。

「属人性」、「パフォーマティブ」という説明でようやく納得が行った。これは要するに、レポートを内容でなくそれを書いた人物で、あるいは一生懸命さで評価してほしいという訴えなのだと。

これからは、レポートは書かれた内容・結果で評価しますから「です・ます」調で書いても無駄ですよ、と説明することにしよう。