2008年2月13日水曜日

年賀状が来ない

時季はずれの話題だが、今年は年賀状が例年の3分の2ぐらいしか来なかった。

来なかった3分の1には、うちの実家とか恩師とか、毎年年賀状を交わしていて明らかに先方も出しているものも含まれる。

1月下旬ごろに、これはやはりおかしい、あまりに数が多すぎると思い、郵便局に行って、年賀状が来なかった人リスト50人分を渡し、調べてもらうことにした。調べるといっても配達記録便ではないので、局内にデータがあるわけではない。配達員がご近所を戸別訪問して、誤配がなかったか聞いてまわるという手間のかかる方法である。当然ながらうちの辺りは配達員が勤務する昼間はだれもいない家が多いはずで、結局成果はなかったようだ。それでも、同じようなトラブルに見舞われているようなケースがご近所中で複数出てくれば原因はつかめそうなものだと少し期待はしていたのだが……。過去にはアルバイトの配達員が面倒なので捨てたというケースがあったようだが、その可能性はないときっぱりと否定された。

年賀状を送っていただいたと思われる方に直接、「年賀状出していただけました?」と聞くのも気が引けるので、このままうやむやにするしかないのだろう。ちゃんと調べてくださった局員の方には頭が下がるが、年賀状というのは民営化されても日本郵便一社独占市場のままなのだろうから、もうちょっとなんとかならないのだろうかとも思う。

2008年2月7日木曜日

小池靖『テレビ霊能者を斬る』



昨年末に刊行されてすぐに読んだ本だが、ここへ来て細木数子が3月で2番組を降板することになった(スポニチAnnexニュース)り、江原啓之が放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から厳しい批判意見を受けた(J-CASTニュース、委員会決定意見書)りと、年明けからあわただしい動きをみせている。そこで再読した。

江原啓之、細木数子の二大「テレビ霊能者」の活動・思想や人気の背景、1974年から現在に至る「テレビ霊能者」史を振り返りつつ、テレビというメディアと日本人の民衆的宗教性との親和性を考察し、またテレビ霊能者批判は何を問題にしているのかを分析している。コンパクトな新書ながら、深く考えさせられる。

私が特に興味を覚えたのは、第4章で触れられている江原啓之の反論に関するところだ。宗教を「文化」すなわち社会の中で真偽を問われない地位にあるものという伝統宗教側の見方に対して、あくまで「霊の存在」に根拠を置き、真偽性を追求する主張をしていることがとりあげられている。

このくだりを読んだとき、18年ぐらい前の大学院生時代にある外国人留学生とテレビのオカルト・超能力系番組について話したことを思い出した。真偽が怪しい内容の番組になぜこれだけ多くの視聴者がひきつけられるのか、なぜ日本ではこのような番組が堂々と作られているのか、という相手に対して私は、いやそれは真偽性とは別の次元で何か教訓的なメッセージを受け取ったり面白がったりしているだけなんだよ、というような意見を言ったような覚えがある。

しかし、そうした私のようなぬるい受け止め方と、発信している当事者との間には大きな断絶があるのかもしれない。私はここ数年ほとんどテレビを見ない(朝のニュース番組ぐらい)ので、細木、江原の影響力もまったく実感がわかないのだが、今回BPOが意見を出した事例などは、一歩間違えば藤田庄市氏の言う「スピリチュアル・アビューズ」(霊性虐待)を放送局が後押しするようなことになりかねなかったものだと思う。4月の番組改編以降どのような様相になるのか注目したい。