2月23日に亡くなった、池田晶子さんの講演録『人生のほんとう』(トランスビュー、2006年)を読んだ。
訃報記事を見て、そういえば今まで池田さんの著書をちゃんと読んだことがなかったと思って、手にした。「池田某は確実に死にます。皆さんもそうです。確実に死にますが、しかし「死ぬ」という言葉すら超えた「存在」というものに気がついてしまうと、池田は死ぬが私は死なないと、そういう変な言い方が出てきたりします。」(175頁)とか、「つまり、死者の言葉をわれわれは読んでいるわけです。」(179頁)といったくだりがあり、ドキリとする。
常識・社会・年齢・宗教・魂・存在という、6つのテーマに沿いつつ、「存在とは何か」という哲学的な問いを起点として人生を考えるという内容。
この本で繰り返し強調される、自分が生きているということの形式的な「謎」に、私が記憶するかぎり初めて思い至ったときの体験を回想しながら読み進めた。
私の場合、小学生のころ、遠足で山登りをしていたときにふいに思い至った。山頂にほど近いところで、汗をかき、足を痛めて、眼前の山道を見ているこの私はいったい何なんだ。視界の右端に自分の右手が見え、左端に自分の左手が見える。正面には山道がある。当たり前のことのようだが、このような視界でもって今ここを生きているのは、そしてこんなことを考えているのは私以外の何者でもないのではないか。
そういう体験をした後は、ほかならぬこの私が20世紀(そのときはまだ20世紀だった)の日本に生きていることの不思議や、私が死んだらどうなるんだろうということをときおり考えるようになった。また、山登りをすると再び同じような体験をした。
この本には、宗教やネット社会など、私も関心をもっているさまざまな事柄について興味深い知見が記されているけれど、そちらよりも、この私にとって起点となる哲学的体験を思い返させてもらえたことが貴重な読書経験になった。
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