2008年9月17日水曜日

古夜 INISHIE NIGHT

NPOちんじゅの森

昨日、赤坂日枝神社にイベント「古夜 INISHIE NIGHT 御岳山」を観に行った。

「古夜 INISHIE NIGHT」は、9月14日の日本宗教学会のパネルでお世話になった中尾伊早子さんが主宰する「NPOちんじゅの森」が企画・制作するイベントの一つだ。各地の神社を舞台に、そこに語り継がれてきた神話を現代人の心にも響くように脚色して語るというもので、今回はその5回め、5つめの話だという。ヤマトタケルと、鎌倉時代の武将・畠山庄司次郎重忠という二人の主人公を軸とするストーリーだった。日枝神社の社殿の中で、観客は最初みんな少し堅かったけれど、巧みな演者(Team励風)に誘われて、だんだんと悲哀に満ちた英雄譚の世界に引き込まれていった。

パネルでの中尾さんからのコメントで、祭りや神話は古来の農耕社会に根ざしたもので、現代人の生活はそこから切れているのに、どうしたらその意味が伝わるのか、ということがあったが、中尾さんたちは古式ゆかしい神社というある種緊張する舞台で、しっかり入場料を払ってもらうイベントを催すなかで、厳しくその答えを練ってこられたのだと感じた。

2008年9月16日火曜日

日本宗教学会第67回学術大会、終了

日本宗教学会第67回学術大会

9月13日から15日にかけて筑波大学で開かれた、日本宗教学会第67回学術大会が終了した。

今回は、14日午後のパネル「現代日本における地域活動と宗教文化の活用―神道と福祉の接点―」(代表・藤本頼生氏)に発表者として参加したことが、自分にとってのメインイベントだった。

学会というところは基本的には、研究者どうしが相互批判をすることで、研究水準の質保証をする場だと思う。今年6月の「宗教と社会」学会で、ちょっと甘い質問をしたことで、後で間接的なお叱りをいただき、あらためてそのことを再認識したのだった。しかしそれだけではなく、新しい研究の萌芽を展望したり、社会に開かれた視野を導入することも、学会の重要な使命ではないかと思う。

その点で、今回参加したパネルは、副題にある「神道と福祉の接点」という、これまで櫻井治男先生、藤本頼生氏、板井正斉氏を中心に研究が重ねられてきた分野を、祭礼、観光、まちづくりといったところにまで少し幅を広げて、神社神道の社会貢献を探究しつつ「福祉」概念の問い直しを行うための研究の「資源」(これもキーワードであった)をふくらませる意義があったのではないかと思う。などとえらそうに言ってみたが、自分の研究についても、これからやらなければならないことが多いということである。

それから、コメンテーターにNPOちんじゅの森の中尾伊早子氏をお呼びして、ご活動の現場で重視されてきたことや気づきを、それぞれの発表内容にリンクするコメントをいただいたこともたいへんありがたかった。しかし逆に中尾さんはさぞや窮屈な思いをされたのではないかと思う。

1日目のシンポジウムは所用のため参加できなかったが、他のパネルや個人発表も、休みなく聴いて回った。さすがに疲れた(腰が痛い)けれど、いろいろとヒントになることが多かった。

【2008-09-18追記】「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」のサイトに、レジュメが掲載されました。→パネル「現代日本における地域活動と宗教文化の活用─神道と福祉の接点」のレジュメ

2008年9月1日月曜日

小絵馬の展示

横浜市歴史博物館

先日、横浜市歴史博物館の企画展「お願い! かみさま、ほとけさま―小絵馬に見るひとびとの願い―」に行ってきた。

『現代宗教2008』に寄せた論考「ヴァーチャル参拝のゆくえ」で絵馬について触れていたこともあり、絵馬の歴史とヴァラエティを一望できる展示はとても興味深く、面白かった。

青森県深浦町円覚寺蔵の「賭け事に錠図絵馬」(天保5(1834))が展示されていたが、その左脇に「ウンスンカルタ」が描かれていた。「ウンスンカルタ」は現在熊本県人吉市にのみ伝承されているもので、近年には町おこしイベントにも活用されている。ちょうど2週間前に人吉市に行ってきたばかりなので、縁のようなものを感じてしまった。

会期は9月15日までなので、ご関心のある方はお早めに。

2008年8月29日金曜日

『現代宗教2008 特集 メディアが生み出す神々』

現代宗教2008 (秋山書店)

財団法人国際宗教研究所の編集による『現代宗教2008』が刊行された。今号の特集は「メディアが生み出す神々」。

近年のスピリチュアルブームとマスメディアとの関係、マンガやアニメのなかの宗教性、観光と宗教との関係についてなど、さまざまな事象が9本の論文で掘り下げられている。そのうちの一本を書かせていただいた。

また、巻頭には宮崎哲弥氏と島薗進先生との対談が収録されている。「マスメディアとスピリチュアルブーム」という題がついているものの、話題が多岐にわたっている。ネオリベラリズム的価値観にもとづく体制とそこでの疎外という状況に対し、今日の宗教はどのようなベクトルで動いているのか、という問いかけが根底にあるように受け取った。

2008年8月17日日曜日

出雲大社本殿を拝観

8月13日、出雲大社の本殿を拝観する機会に恵まれた。

60年に1回の遷宮(本殿屋根の葺き替え)にともなう一般公開で、4〜5月、7月、8月に行われたもの。今日(8月17日)が最終日となる。最初のときは、大勢の拝観希望者が訪れて、2時間待ち、3時間待ちという状況だったようだ。また、拝観にあたっての服装についての広報が行き届かず、Tシャツ、ジーパンで訪れて門前払いを食らわされる人もあったらしい。

7月、8月は拝観希望者に当日整理券が配布されるほか、8月には拝観希望日の10日以上前に事前予約の往復ハガキを送ることで、拝観する時間帯を30分刻みにして人数調整が行われ、所定の時刻に拝殿脇のテントに集合すればよいようになっていた。

それでも、30分ごとの拝観者グループはおよそ100名はいて、猛烈な暑さをテント内の日陰と冷風、水でしのぎながらしばらく待つことになった。



60年に1回しか公開されない天井絵を見ることができたのも幸運だったが、それよりも感慨深かったのは、自分が本殿に上がっているということ。といっても中に入ることはできず、縁側だが。子どものときから数十回はお参りしている出雲大社だが、本殿に上がるという経験はもちろん初めてだし、ありえないことだ。大社造りの社殿の急な階段を上り、縁側から境内を眺めわたすと、そういう視点に立ったことがないので、なんとも不思議な感じがした。

2008年6月16日月曜日

「宗教と社会」学会学術大会、終了


6月14・15日、名古屋の南山大学で、「宗教と社会」学会第16回学術大会が開催され、参加した。

宗教の社会貢献活動研究プロジェクトのテーマセッション、「宗教の社会貢献活動―基礎論構築をめざして」では、「宗教の社会貢献活動」の定義や「社会貢献」の評価軸(誰が、どのような基準で)をめぐって、熱い議論が交わされた。「宗教の社会貢献活動」と言う場合、宗教者・宗教団体が主体となる活動を指すのが一般的だと思う。私は目下のところ櫻井治男先生・藤本頼生先生・板井正斉先生のご教導を受けながら神社神道の社会貢献活動について調べているのだが、そこでは主体が神社または神職とは言えない場合を視野に収めることが重要だと考えている。ただそのときに評価軸をどこに置くかということはしっかりと検討しなければならないだろう。9月の日本宗教学会学術大会でこれに関連するパネルがあるので、このような点を留意しつつ準備を進めていきたい。

また、「「民衆宗教」研究の新展開」セッションでは、ネオ・リベラリズムへの対抗軸の提示をめざす宗教研究という問題提起に、大いに刺激を受けた。学会でも新しく「民衆宗教」研究プロジェクトが立ち上げられ、これからさらに活発な共同研究が重ねられていくものと思われる。

ただ個人的には個人発表の討議や総会でKY発言を繰り返してしまい、帰りの新幹線ですっかり意気消沈してしまった。そのせいか、今日は風邪気味で調子が悪い。

土居浩さんからいただいた論考「『掃苔』同人とその時代」に、柴田常恵の名前を見つけた。國學院大學学術資料データベースには、柴田常恵が遺した写真資料の一部が公開されている。「上野公園内の名墓」に関わる写真は残念ながら見当たらなかったが、いくつか著名な人物の墓の写真は見つけることができた。今年度からの、國學院大學研究開発推進機構学術資料館のプロジェクト「近代学術資産のデジタル化・データベース化による再生活用の研究」では、これまでの写真資料に加えて拓本資料の目録化・デジタル化に着手しつつあるので、そこで何か関連するものが出てくるかもしれない。

2008年5月27日火曜日

法廷画展

法廷画家 (映画「ぐるりのこと。」公式サイト)
「法廷画展」開催 (國學院大學)


日本の法廷では写真・ビデオ撮影が禁止されているので、テレビなどが法廷の様子を報道するために、イラストを描く人たちがいる。近く公開される橋口亮輔監督の映画「ぐるりのこと。」は、法廷画家の夫とその妻が主人公の作品で、それにちなんで「法廷画展」が、國學院大學渋谷キャンパスの学術メディアセンター多目的ホールで開催されている。

オウム真理教教祖の麻原彰晃(松本智津夫)の法廷での表情を描いたものが最も多く展示されていた。

施行が近づいている裁判員制度をめぐって、賛否両論が大きく渦巻いている。私もこの制度の導入に疑問をもっているが、私たちは裁判を幾重にもフィルターをかけた形でしか知り得ていないこと、しかしその過程の中にも真摯な努力があることを考えさせられた。