2008年12月24日水曜日

冬期休暇

大学は明日から冬期休暇に入る。しかし28日までは研究会などいろいろと用事があり、大学通いが続く。

それにしても冬期休暇中いっぱいの大学図書館閉館は納得できない。いくつかの大学を調べてみたが、12月28日から1月4日までというのが普通で、こんなに長い期間閉館するところはほかにないだろう。毎年思うのだが、卒論の追い込み時期に入っている学生は本当に困っているのではないだろうか。開館時間を短くしてもいいからサービスを止めないでほしい。

2008年12月6日土曜日

NHKオンデマンド

NHKオンデマンド

気になった番組

古典芸能鑑賞 人情噺「鰍沢」五代目古今亭志ん生 (1964)
NHK特集 永平寺 (1977)
お笑いオンステージ (1980)
YOU 誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座 (1982)
NHKスペシャル 永平寺 104歳の禅師 (2004)

2008年11月16日日曜日

バラク・オバマ『合衆国再生』

合衆国再生―大いなる希望を抱いて

オバマ氏の大統領当選が決まった5日から読み始めて、ようやく読み終えた。

分裂や格差が広がるアメリカ合衆国で、共通の理想に向けて社会合意を再形成しようという、オバマ氏の政治的姿勢と政策提言が、多民族・多文化社会の申し子とでもいうべき彼の生い立ちや家族との生活、上院議員になるまでの市民との対話などのエピソードを巧みにからめつつ、説得力をもって記されている。

あくまで政治家による著作なので、こう言うと異論があるかもしれないが、アメリカの宗教事情を知り、民主主義社会のなかでの宗教の役割を展望するうえでも、本書、とくに第5章はタイムリーかつ最良のテキストの一つではないかと思う。もっと客観的に深く知りたい人は、森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』堀内一史『分裂するアメリカ社会―その宗教と国民的統合をめぐって』などの研究書を併読することをお勧めしたい。もちろん、小原克博先生のPodcastもお勧めです。

2008年11月7日金曜日

筑紫哲也氏の訃報に接して

asahi.com(朝日新聞社):筑紫哲也さん死去 NEWS23前キャスター 73歳 - おくやみ

筑紫哲也編集長時代の『朝日ジャーナル』は、まだインターネットもなく情報格差の大きい地方都市に住む高校生にとって、東京の流行文化の貴重な情報源だった。もちろん他にもいろいろ雑誌や書籍、レコード、ラジオなどにも接してはいたが、大手新聞社から発行され、近所のスーパーの雑誌コーナーでも読める最も手直なメディアだったことは間違いない。この雑誌がフォローした「ニューアカ」ブームに触れなかったら、人文系の学問に興味を抱くこともなかったし(それまではどちらかというと理系少年だった)、「宗教学」などという学問があることを知ることもなかっただろう。

もう一つ思い出すのは、坂本弁護士一家殺害事件のきっかけとなったとされるTBSオウムビデオ問題の検証報道で、筑紫氏が言った「TBSは死んだ」という言葉である。あれから10数年が経ち、マスメディアは変わったのだろうかと思ってしまう。

ご冥福をお祈りします。

2008年9月17日水曜日

古夜 INISHIE NIGHT

NPOちんじゅの森

昨日、赤坂日枝神社にイベント「古夜 INISHIE NIGHT 御岳山」を観に行った。

「古夜 INISHIE NIGHT」は、9月14日の日本宗教学会のパネルでお世話になった中尾伊早子さんが主宰する「NPOちんじゅの森」が企画・制作するイベントの一つだ。各地の神社を舞台に、そこに語り継がれてきた神話を現代人の心にも響くように脚色して語るというもので、今回はその5回め、5つめの話だという。ヤマトタケルと、鎌倉時代の武将・畠山庄司次郎重忠という二人の主人公を軸とするストーリーだった。日枝神社の社殿の中で、観客は最初みんな少し堅かったけれど、巧みな演者(Team励風)に誘われて、だんだんと悲哀に満ちた英雄譚の世界に引き込まれていった。

パネルでの中尾さんからのコメントで、祭りや神話は古来の農耕社会に根ざしたもので、現代人の生活はそこから切れているのに、どうしたらその意味が伝わるのか、ということがあったが、中尾さんたちは古式ゆかしい神社というある種緊張する舞台で、しっかり入場料を払ってもらうイベントを催すなかで、厳しくその答えを練ってこられたのだと感じた。

2008年9月16日火曜日

日本宗教学会第67回学術大会、終了

日本宗教学会第67回学術大会

9月13日から15日にかけて筑波大学で開かれた、日本宗教学会第67回学術大会が終了した。

今回は、14日午後のパネル「現代日本における地域活動と宗教文化の活用―神道と福祉の接点―」(代表・藤本頼生氏)に発表者として参加したことが、自分にとってのメインイベントだった。

学会というところは基本的には、研究者どうしが相互批判をすることで、研究水準の質保証をする場だと思う。今年6月の「宗教と社会」学会で、ちょっと甘い質問をしたことで、後で間接的なお叱りをいただき、あらためてそのことを再認識したのだった。しかしそれだけではなく、新しい研究の萌芽を展望したり、社会に開かれた視野を導入することも、学会の重要な使命ではないかと思う。

その点で、今回参加したパネルは、副題にある「神道と福祉の接点」という、これまで櫻井治男先生、藤本頼生氏、板井正斉氏を中心に研究が重ねられてきた分野を、祭礼、観光、まちづくりといったところにまで少し幅を広げて、神社神道の社会貢献を探究しつつ「福祉」概念の問い直しを行うための研究の「資源」(これもキーワードであった)をふくらませる意義があったのではないかと思う。などとえらそうに言ってみたが、自分の研究についても、これからやらなければならないことが多いということである。

それから、コメンテーターにNPOちんじゅの森の中尾伊早子氏をお呼びして、ご活動の現場で重視されてきたことや気づきを、それぞれの発表内容にリンクするコメントをいただいたこともたいへんありがたかった。しかし逆に中尾さんはさぞや窮屈な思いをされたのではないかと思う。

1日目のシンポジウムは所用のため参加できなかったが、他のパネルや個人発表も、休みなく聴いて回った。さすがに疲れた(腰が痛い)けれど、いろいろとヒントになることが多かった。

【2008-09-18追記】「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」のサイトに、レジュメが掲載されました。→パネル「現代日本における地域活動と宗教文化の活用─神道と福祉の接点」のレジュメ

2008年9月1日月曜日

小絵馬の展示

横浜市歴史博物館

先日、横浜市歴史博物館の企画展「お願い! かみさま、ほとけさま―小絵馬に見るひとびとの願い―」に行ってきた。

『現代宗教2008』に寄せた論考「ヴァーチャル参拝のゆくえ」で絵馬について触れていたこともあり、絵馬の歴史とヴァラエティを一望できる展示はとても興味深く、面白かった。

青森県深浦町円覚寺蔵の「賭け事に錠図絵馬」(天保5(1834))が展示されていたが、その左脇に「ウンスンカルタ」が描かれていた。「ウンスンカルタ」は現在熊本県人吉市にのみ伝承されているもので、近年には町おこしイベントにも活用されている。ちょうど2週間前に人吉市に行ってきたばかりなので、縁のようなものを感じてしまった。

会期は9月15日までなので、ご関心のある方はお早めに。

2008年8月29日金曜日

『現代宗教2008 特集 メディアが生み出す神々』

現代宗教2008 (秋山書店)

財団法人国際宗教研究所の編集による『現代宗教2008』が刊行された。今号の特集は「メディアが生み出す神々」。

近年のスピリチュアルブームとマスメディアとの関係、マンガやアニメのなかの宗教性、観光と宗教との関係についてなど、さまざまな事象が9本の論文で掘り下げられている。そのうちの一本を書かせていただいた。

また、巻頭には宮崎哲弥氏と島薗進先生との対談が収録されている。「マスメディアとスピリチュアルブーム」という題がついているものの、話題が多岐にわたっている。ネオリベラリズム的価値観にもとづく体制とそこでの疎外という状況に対し、今日の宗教はどのようなベクトルで動いているのか、という問いかけが根底にあるように受け取った。

2008年8月17日日曜日

出雲大社本殿を拝観

8月13日、出雲大社の本殿を拝観する機会に恵まれた。

60年に1回の遷宮(本殿屋根の葺き替え)にともなう一般公開で、4〜5月、7月、8月に行われたもの。今日(8月17日)が最終日となる。最初のときは、大勢の拝観希望者が訪れて、2時間待ち、3時間待ちという状況だったようだ。また、拝観にあたっての服装についての広報が行き届かず、Tシャツ、ジーパンで訪れて門前払いを食らわされる人もあったらしい。

7月、8月は拝観希望者に当日整理券が配布されるほか、8月には拝観希望日の10日以上前に事前予約の往復ハガキを送ることで、拝観する時間帯を30分刻みにして人数調整が行われ、所定の時刻に拝殿脇のテントに集合すればよいようになっていた。

それでも、30分ごとの拝観者グループはおよそ100名はいて、猛烈な暑さをテント内の日陰と冷風、水でしのぎながらしばらく待つことになった。



60年に1回しか公開されない天井絵を見ることができたのも幸運だったが、それよりも感慨深かったのは、自分が本殿に上がっているということ。といっても中に入ることはできず、縁側だが。子どものときから数十回はお参りしている出雲大社だが、本殿に上がるという経験はもちろん初めてだし、ありえないことだ。大社造りの社殿の急な階段を上り、縁側から境内を眺めわたすと、そういう視点に立ったことがないので、なんとも不思議な感じがした。

2008年6月16日月曜日

「宗教と社会」学会学術大会、終了


6月14・15日、名古屋の南山大学で、「宗教と社会」学会第16回学術大会が開催され、参加した。

宗教の社会貢献活動研究プロジェクトのテーマセッション、「宗教の社会貢献活動―基礎論構築をめざして」では、「宗教の社会貢献活動」の定義や「社会貢献」の評価軸(誰が、どのような基準で)をめぐって、熱い議論が交わされた。「宗教の社会貢献活動」と言う場合、宗教者・宗教団体が主体となる活動を指すのが一般的だと思う。私は目下のところ櫻井治男先生・藤本頼生先生・板井正斉先生のご教導を受けながら神社神道の社会貢献活動について調べているのだが、そこでは主体が神社または神職とは言えない場合を視野に収めることが重要だと考えている。ただそのときに評価軸をどこに置くかということはしっかりと検討しなければならないだろう。9月の日本宗教学会学術大会でこれに関連するパネルがあるので、このような点を留意しつつ準備を進めていきたい。

また、「「民衆宗教」研究の新展開」セッションでは、ネオ・リベラリズムへの対抗軸の提示をめざす宗教研究という問題提起に、大いに刺激を受けた。学会でも新しく「民衆宗教」研究プロジェクトが立ち上げられ、これからさらに活発な共同研究が重ねられていくものと思われる。

ただ個人的には個人発表の討議や総会でKY発言を繰り返してしまい、帰りの新幹線ですっかり意気消沈してしまった。そのせいか、今日は風邪気味で調子が悪い。

土居浩さんからいただいた論考「『掃苔』同人とその時代」に、柴田常恵の名前を見つけた。國學院大學学術資料データベースには、柴田常恵が遺した写真資料の一部が公開されている。「上野公園内の名墓」に関わる写真は残念ながら見当たらなかったが、いくつか著名な人物の墓の写真は見つけることができた。今年度からの、國學院大學研究開発推進機構学術資料館のプロジェクト「近代学術資産のデジタル化・データベース化による再生活用の研究」では、これまでの写真資料に加えて拓本資料の目録化・デジタル化に着手しつつあるので、そこで何か関連するものが出てくるかもしれない。

2008年5月27日火曜日

法廷画展

法廷画家 (映画「ぐるりのこと。」公式サイト)
「法廷画展」開催 (國學院大學)


日本の法廷では写真・ビデオ撮影が禁止されているので、テレビなどが法廷の様子を報道するために、イラストを描く人たちがいる。近く公開される橋口亮輔監督の映画「ぐるりのこと。」は、法廷画家の夫とその妻が主人公の作品で、それにちなんで「法廷画展」が、國學院大學渋谷キャンパスの学術メディアセンター多目的ホールで開催されている。

オウム真理教教祖の麻原彰晃(松本智津夫)の法廷での表情を描いたものが最も多く展示されていた。

施行が近づいている裁判員制度をめぐって、賛否両論が大きく渦巻いている。私もこの制度の導入に疑問をもっているが、私たちは裁判を幾重にもフィルターをかけた形でしか知り得ていないこと、しかしその過程の中にも真摯な努力があることを考えさせられた。

2008年3月30日日曜日

グリーンライン


今年は首都圏の公共交通の開通ラッシュだそうだが、そのうちの一つ、横浜市営地下鉄グリーンラインが今日開通した。

港北ニュータウンを中心に、日吉と中山を結ぶ路線。センター北駅、センター南駅で従来の地下鉄(ブルーライン)と接続している。

さっそく昼すぎに乗ってみた。気のせいかもしれないが、乗客に年配の方が多かったような気がする。港北ニュータウンはわりと若い夫婦や小さい子供が多い町だが、今までバス路線だけだったセンター北〜日吉間やセンター南〜中山間の住民の方々が多く利用していたせいだろうか。

2008年3月21日金曜日

『宗教と現代がわかる本2008』



今日の昼、本屋で見つけて思わず購入したが、自宅に帰ると献本が届いていた。

少しずつ読み進めているが、一つ一つの記事がゆるやかにつながっていて、全体として2007年の宗教をめぐる状況が見えてくるようだ。

例えば、私の記事「「セカンドライフ」のなかの仮想宗教の動き」は、少なくとも、その一つ前の磯村健太郎氏の「宗教の代替的機能を演じるネット空間」と関連しているし、さらには長薗安浩氏「池田晶子の死」、村上興匡氏「「千の風になって」の大ヒットと葬儀観の変化」とも関わりがある。

2008年2月13日水曜日

年賀状が来ない

時季はずれの話題だが、今年は年賀状が例年の3分の2ぐらいしか来なかった。

来なかった3分の1には、うちの実家とか恩師とか、毎年年賀状を交わしていて明らかに先方も出しているものも含まれる。

1月下旬ごろに、これはやはりおかしい、あまりに数が多すぎると思い、郵便局に行って、年賀状が来なかった人リスト50人分を渡し、調べてもらうことにした。調べるといっても配達記録便ではないので、局内にデータがあるわけではない。配達員がご近所を戸別訪問して、誤配がなかったか聞いてまわるという手間のかかる方法である。当然ながらうちの辺りは配達員が勤務する昼間はだれもいない家が多いはずで、結局成果はなかったようだ。それでも、同じようなトラブルに見舞われているようなケースがご近所中で複数出てくれば原因はつかめそうなものだと少し期待はしていたのだが……。過去にはアルバイトの配達員が面倒なので捨てたというケースがあったようだが、その可能性はないときっぱりと否定された。

年賀状を送っていただいたと思われる方に直接、「年賀状出していただけました?」と聞くのも気が引けるので、このままうやむやにするしかないのだろう。ちゃんと調べてくださった局員の方には頭が下がるが、年賀状というのは民営化されても日本郵便一社独占市場のままなのだろうから、もうちょっとなんとかならないのだろうかとも思う。

2008年2月7日木曜日

小池靖『テレビ霊能者を斬る』



昨年末に刊行されてすぐに読んだ本だが、ここへ来て細木数子が3月で2番組を降板することになった(スポニチAnnexニュース)り、江原啓之が放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から厳しい批判意見を受けた(J-CASTニュース、委員会決定意見書)りと、年明けからあわただしい動きをみせている。そこで再読した。

江原啓之、細木数子の二大「テレビ霊能者」の活動・思想や人気の背景、1974年から現在に至る「テレビ霊能者」史を振り返りつつ、テレビというメディアと日本人の民衆的宗教性との親和性を考察し、またテレビ霊能者批判は何を問題にしているのかを分析している。コンパクトな新書ながら、深く考えさせられる。

私が特に興味を覚えたのは、第4章で触れられている江原啓之の反論に関するところだ。宗教を「文化」すなわち社会の中で真偽を問われない地位にあるものという伝統宗教側の見方に対して、あくまで「霊の存在」に根拠を置き、真偽性を追求する主張をしていることがとりあげられている。

このくだりを読んだとき、18年ぐらい前の大学院生時代にある外国人留学生とテレビのオカルト・超能力系番組について話したことを思い出した。真偽が怪しい内容の番組になぜこれだけ多くの視聴者がひきつけられるのか、なぜ日本ではこのような番組が堂々と作られているのか、という相手に対して私は、いやそれは真偽性とは別の次元で何か教訓的なメッセージを受け取ったり面白がったりしているだけなんだよ、というような意見を言ったような覚えがある。

しかし、そうした私のようなぬるい受け止め方と、発信している当事者との間には大きな断絶があるのかもしれない。私はここ数年ほとんどテレビを見ない(朝のニュース番組ぐらい)ので、細木、江原の影響力もまったく実感がわかないのだが、今回BPOが意見を出した事例などは、一歩間違えば藤田庄市氏の言う「スピリチュアル・アビューズ」(霊性虐待)を放送局が後押しするようなことになりかねなかったものだと思う。4月の番組改編以降どのような様相になるのか注目したい。